臨床・薬学研究に貢献する医療ビッグデータ

「臨床・薬学研究に貢献する医療ビッグデータ」東京理科大 真野泰成教授 インタビュー

医療ビッグデータを活用したドラッグ・リポジショニング
―既存薬の新たな薬効を見出す研究へ

ドラッグ・リポジショニング(DR)とは、既存薬から別の薬効を見出すことであり、当初想定していなかった疾患の治療薬への応用につながる研究のことです。

東京理科大学薬学部薬学科の真野泰成教授が取り組んでいるのが、医療機関が保険請求するレセプトデータ(診療報酬明細書)やDPCデータなどの医療ビッグデータを活用したDR研究です。

真野教授ら研究班は今回、医療ビッグデータを活用して降圧薬であるARB(アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬)が、前立腺がんの腫瘍マーカーであるPSA(前立腺特異抗原)検査値を低下させるかどうかを研究して、論文にしました。この論文は2023年12月、実験的および臨床的ながんに関する研究を扱う国際ジャーナルである「Anticancer Research」に掲載されました。

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/38030194/

この研究ではMDVの持つ国内最大規模の診療データベースが採用されました。2008年4月から2019年6月までの期間にPSA検査を2回以上(最初と次の検査の期間が91日~730日間)受けた60歳以上で前立腺がんではない男性患者を対象にしました。

その中で、ARBを処方されたARB群(777人)と、ARB以外の降圧薬を処方された非ARB群(527人)を特定しました。その上で、2回目のPSA値が最初の数値よりも高い患者の割合を比較しました。結論としては、PSA値が上昇した患者の割合は、非ARB群よりもARB群が有意に低いことが明らかになりました。

真野教授のインタビューは以下の通りです。

臨床研究といった人を対象とする生命科学・医学系研究に係る研究をする際は、研究をする前に、その研究における倫理的配慮および科学的妥当性を確保することを目的に倫理審査委員会に諮る必要があります。
病院や薬局などの医療機関での患者データを用いて研究をする場合、被験者に対し、その臨床研究の実施に関し必要な事項について十分な説明をして、文書でインフォームド・コンセントを取得しなければならないことがあります。データの匿名化の方法などといった個人情報の問題や研究結果の取り扱いなどを考慮する必要があります。さらに、医療機関から大学などといった第3者(他の研究機関)にデータ等の情報を提供する場合の対応なども必要になります。これらの対応を踏まえた上で、倫理審査委員会提出書類に記載する必要があります。これらの対応はかなり大変です。

一方、匿名化された医療ビッグデータを使用して臨床研究をする際、倫理審査委員会への提出書類作成については、上記の病院や薬局などの医療機関での患者データを用いて研究をする場合に比べて、手間は大幅に削減されます。その点は、医療ビッグデータを活用することのメリットだと思います。

また、個々の施設の診療データだと、当然、それぞれの施設だけのデータなので、特定の施設の特性が出てしまったり、データ数が少なかったりするといったデメリットがあります。

ところが、MDVの診療データベースだと、個々の施設のデータを大量に集めた医療ビッグデータ(2024年5月末、実患者数4779万人)なので、現場で提供されている医療行為、傷病名、処方された薬剤、実施した検査のほか、手術をしたかどうかも分かります。さらに、血液検査などの臨床検査値もそろっています。患者さんへの医療行為の実態がより緻密に把握することができるので研究の幅も広がりました。

もちろん、希少な疾患ならば、特定の施設に患者が集中するので、その施設の診療データを使った研究にした方がいいこともあります。我々研究者は、疾患ごとや研究テーマに応じて、特定の施設のデータにするのか、MDVなどが保有している医療ビッグデータにするのかを決めます。

医療ビッグデータとは、患者の自然な受診行動を反映した実態診療データであることから、「リアルワールドデータ」と言われています。近年、これらのデータ活用が進んでいます。

研究デザインと解析対象患者数やアウトカム数との兼ね合い

我々研究者は、研究デザインを精緻化すればするほど、解析対象患者数やアウトカム数(n数)が減っていくというジレンマを抱えています。ところが、医療ビッグデータだと、その心配の程度が小さくて済みます。今回のARBの研究では、60歳以上で2年以上のデータ期間をもつ患者が206万人いました。

その中から、PSA検査を2回以上(最初と次の検査の期間が91日~730日間)の患者を抽出し、またあらかじめ定めた除外基準に則り、前述のARB群(777人)と非ARB群(527人)を特定しました。医療ビッグデータにより、研究デザインを設計する上では、除外基準などでn数が減るといったことをそれほど心配する必要がありません。

今回の研究デザインは、ARBという薬剤を使うことで前立腺がんの腫瘍マーカーであるPSAが変動するかどうかを検証するものです。対象者はまず、PSA検査をしている人であることが大前提です。そしてARBを服用したことによる変化を見たいので、服用前後のPSAの検査値が2つ以上ある人で、ARBまたは他の降圧薬が処方されているという条件を満たさないと比較ができませんでした。さらに、今回は前立腺がんの既往がない人であることも条件に盛り込んでいます。

研究デザインを決めるにあたっては、除外基準や組み入れ基準について医師など共同研究者とのディスカッションや、過去の論文などを参考にします。そして、詳細を設定した上で実際に解析をします。最終的に解析対象患者数やアウトカム数は、解析するまで分かりません。これらのn数は上記除外基準や組み入れ基準に依存するところが大きいので慎重に研究デザインを考慮しています。

DRを通じて既存薬剤の別の薬効を探求する

私の専門は臨床薬剤情報学で、真野研究室では臨床現場で直面するさまざまな問題点を抽出し、その問題点の解明とともに新たな薬学的エビデンスを構築し臨床にフィードバックすることを目指しています。医療ビッグデータを活用した医薬品適正使用に関する研究や医薬品の体内動態や薬効・副作用を考慮した最適な投与設計法の研究もしています。

主なテーマは、▽DRと呼ぶ、既存薬から別の薬効を見出すことであり、当初想定していなかった疾患の治療薬の応用につながる研究▽糖尿病薬の適正使用に向けた安全性および薬物動態の検討▽新規化合物の薬物動態の検討▽大規模医療データベースを用いたがん予防剤の開発▽高齢者・フレイル(虚弱)の安全な薬物治療実施に向けた研究――などです。

真野研究室が取り組むDRは、既存の薬剤が持っている効果とは、別の効果があるかどうかを探求しています。今回の研究は、ARBの降圧薬としての効果とは異なる別の効果があるのかどうかをテーマにしました。この研究は大学医学部のがん予防専門家、泌尿器科の医師、このほか統計学の専門家と真野研究室の共同研究になります。

今回の研究では、当時、真野研究室の槇島義人さん(現在、MDV社員)も卒業研究の一環として、この研究に参加しました。

槇島さんに聞きました。

私が研究に参加したのは、東京理科大学薬学部4年生の時でした。担当していたパートの研究は2021年10月から2022年2月までの5か月間。私は大学のある日には毎朝9時半頃、真野先生の研究室に来て、夕方6時か7時までPCの前に座りました。データを解析し、その結果を検証し続ける作業を続けました。

医療ビッグデータを扱う研究なので、研究室におけるデータの保管・管理方法、アクセスやセキュリティーは厳密化されていました。一方で、体調を崩すと研究が続けられなくなるので、適度に休憩を取るなどして健康維持に心がけました。大学は千葉県野田市にあり、緑豊かな広大なキャンパスなので、気晴らしに散歩をしたことを思い出します。

真野研究室のテーマであるDRは大きな可能性を秘めていると思っています。今回の研究領域であるがん疾患だけでなく、糖尿病などの生活習慣病の治療につながる新たな薬効の可能性の研究で今後、大きな進展があれば、多くの人にDRの意義が伝わるのでははいでしょうか。

【真野教授のご略歴】

1997年 東京理科大学薬学部薬学科 卒業
2006年 金沢大学大学院 自然科学研究科 生命科学専攻 博士課程修了、博士(薬学)取得
2015年 東京理科大学薬学部准教授
2022年 東京理科大学薬学部教授